【小説】幾城界編


待宵の花

 しきがカインデストの私室を訪ねると、中から少し待てと声が掛かる。間を置かず開いた扉から現れたのは、この城で過ごす間に見知ってしまった伝令の一人だった。どうやら先客が居たらしい。

 擦れ違い様に一礼されたので軽く会釈を返してから、色は奥の間で佇む部屋の主に声を掛けた。

「何かあったの?」

「……少しな」

 対するカインデストは振り返らないまま、何かを思案しているようだった。

 今日は間が悪かったかもしれないな、と思いつつ、気難しげな顔に向かって言う。

「私は聞かない方がいい?」

「……そうだな。お前にとっては、あまり聞きたくない話かもしれない」

 不意に、逸らされていた紫の瞳と視線が合う。表情の読めない人形めいた美貌が、今はどこか翳って見えた。

 彼の口の重さが気遣いから来るものだと分かって、色は逆に胸を撫で下ろした。この様子なら、今すぐに何かあるという話ではないのだろう。

「いいよ。話して、カイン。それが自分にとってどんなに悪い報せでも、知らないままでいる方がずっと怖い。――私は、そういう人間だから」

 いっそ不敵なまでに笑った色に、カインデストはふっと苦笑する。最初から分かっていたような反応だった。

「では、そのまま聞いてくれ。仔細はこれから人を回すが……ローグが地階で消息を絶ったらしい」

 はっと息を詰めた色へ宥めるように頷いてから、彼は静かに続ける。

「恐らく、こちらの者で最後に奴と会ったのは俺だ。お前も知っている通り、近頃は上と下との小競り合いが多くてな。今回は特に規模が大きいからと、地階側の相談役として奴を向かわせたのが五日前のことだ」

 ゆっくりと落ち着いた口調は、逸る胸の鼓動を優しく促す響きを持っていた。お陰で色は背に冷たい汗を感じながらも、彼の瞳をしっかりと見返すことができる。

「どう落ち所をつけるにせよ、最低でも三日はかかるだろうという話だったが、奴が現地に着いて以降、全く報告が上がっていない。これがどういうことなのか、察しはつくだろう」

「……話し合いの場を設ける前に、何か問題が起きたってこと? でも、向こうの人達は、その、密かに誰かをどうこうしようとか、そういう陰湿な真似はしそうにないというか……」

「ああ。俺も下の連中は比較的、話の分かる奴らだと思っている。つまり仕掛けた可能性があるのは上――天階(こちら)側の者達だな」

 身内を疑うことを躊躇わない言葉に、色は思わず眉尻を下げる。不安げな視線を受けたカインデストはしかし、緩く微笑んでみせた。

「何らかの事故があったとも考えられるが、まあ無いだろうな。だが心配は要らない。直接的にせよ間接的にせよ、奴がそう簡単にやり込められるとは思えん。こちらもそろそろ“平和的解決”というわけにはいかないだろうと思っていた。来たるべき時が来た、という……だけだ……」

「――カイン?」

 それまで落ち着いて話していた表情が急に歪んだことに気付いて、色は慌てて彼の肩に手を置く。カインデストは大丈夫だと言うように彼女の手に自身の手を重ね、眉を寄せながら軽く息を吐いた。

「まったく。この体質だけは、どうにもな。こうなった手前、示しをつける為にも佐官を張り倒してでも出る気だったが……お前の顔を見るに、かえって皆を不安にさせるかもしれんな」

 からかいを含んだ物言いに余裕を感じ取って、色は安堵の笑みを浮かべる。それを見たカインデストも淡く笑い返しつつ、肩から外した彼女の手を両手でそっと包み込んだ。

「これでも、以前よりだいぶ調子は良いんだ。お前が“こちら”に居る影響だろうな。……今こうして話しているだけでも、不思議と身体の何処かが癒えていく気がするよ」

 そう言った彼の穏やかな微笑みを受けて、色は少し考える顔をした。

「ね、カイン。ちょっと前に、私の部屋をこっちに移すっていう話があったよね?」

「――うん? ああ、確かにそんな話も出ていたが……いや、しかしそれは」

 ふと真面目な顔つきになった色に、今度はカインデストが焦った顔をする。彼女の言わんとすることを理解した上で、それでも乗り気じゃないという雰囲気が珍しく表情から見て取れた。

「やっぱり、私ができるだけ側に居た方が、カインもみんなも安心だよね。あと、これなら示しという意味でも使えるんじゃないかなって」

「それはまあ、こちらの連中には覿面だろうがな。しかし、いいのか? ローグの奴は、お前のことが、その……それに、こんな時だぞ?」

「こんな時だから、じゃない? 私達のことはひとまず置いておいて、悪くない話だと思う。――ひょっとしたら、どこかで聞きつけたバックが慌てて帰って来るかもしれないしね!」

 そう茶化した彼女の笑顔が一瞬崩れたのを、カインデストは見逃さなかった。

 色とて、全く不安が無いわけではないのだ。ここまで健気に言わせておいて、男である自分が乗らないわけにはいかないだろうと、彼は表情を改める。

「分かった。皆には俺から話しておこう。――これから忙しくなると思うが、できる限り不自由の無い日々を約束する。どうかお前の力を貸してくれ」

 触れたままだった手を優しく、しかししっかりと握り込む。友人同士の握手にしては大仰過ぎる台詞に、色は思わず吹き出した。

「もー、そんなに畏まらなくてもいいのに……頼りにしてますからね、王子様?」

 色の少女らしくはにかんだ笑顔を見て、眩しそうに、どこか寂しそうに目を細めたカインデストは、盟友の小さな手をいっそう強く握り返した。

 

◆14-04-14

月下美人の花言葉:繊細、強い意志、儚い恋